藤原道長も愛した古代チーズ「蘇(そ)」

チーズを知る

日本でも遥か昔に作られていたチーズ「蘇」。
昔は貴族しか口にすることのできなかった幻の食べ物ですが、令和の時代になり作る人が続出!
そんな蘇の歴史、魅力をご紹介します。

目次

1.そもそも「蘇」とは?
2.藤原道長も好んで口にした「蘇」
3.蘇の作り方
4.令和の時代になぜ蘇?
5.さいごに

そもそも「蘇」とは?

「蘇」とは古代日本で作られていた乳製品の一種で、日本で最初に作られたチーズとも言われています。記録としては文武天皇(在位六九七-七〇七年)のころ蘇が作られたことが残されています。食品と言うよりは薬や神様へのお供物でした。

また記録には残されていませんが、文武天皇より少し前の時代に活躍した聖徳太子も蘇を食べていたのではないかと言われています。聖徳太子は、遣隋使などを送り大陸文化を多く取り入れていました。シルクロードを通じて仏教文化と一緒に乳製品を日本に伝えたのではないかと言われています。

聖徳太子は、施薬院と呼ばれる施設で人々の生活向上にも努めていました。魚や野草が豊富で農耕民族の日本では乳製品を食べる習慣はありませんでしたが、聖徳太子は薬用として伝わってきた蘇を口にしていたと考えられます。日本でも蘇を活用することで、さらに人々の生活の向上を推進しようという思いがあったのかもしれません。

当時の医療といえば「まじない」主流でした。木で作られた「人形(ひとがた)」をなでたり、病魔を人形に移して水に流したり。そのような中、「まじない」から蘇などの薬を用いた医療に移り変わっていく時代でもありました。

正確な蘇の作り方は残念ながら残っていません。諸説ありますが、牛乳を煮詰めて固めたものだといわれています。当時の技術で何時間もかけて牛乳をこがさず、煮詰める作業はとても大変だったことでしょう。できる量もわずかなため、限られた人しか口にすることはできませんでした。

藤原道長も好んで口にした蘇

藤原道長といえば平安時代の貴族で、娘たちを天皇に嫁がせることで絶大な権力を握り、摂政・太政大臣に上り詰め、藤原氏による政治の全盛期を築いた人物です。「この世をばわが世とぞ思ふ望月の欠けたることもなしと思へば」という有名な和歌も残しています。

平安時代には、貴族の間で唐菓子などの中国からやってきた食べ物が人気でした。蘇もその人気の食べ物の一つでしたが、基本は薬とみなされていたようです。藤原道長は51歳で大病を患った際に、蘇に蜜をかけて食べる「蘇蜜煎」を好んで口にしていたようです。

また、藤原道長が寛仁元年(1017年)に太政大臣の位についたときの大饗(だいきょう)という宴で、宮中から甘栗と組み合わせた「蘇甘栗」を賜っています。権力の象徴であり、当時としては最高級のデザートだったのでしょうか。

藤原道長は日本で最初の糖尿病患者だったのではないかという説もあります。「蘇蜜煎」を薬として以上に好んで食べてしまい、糖尿病になってしまったというのです。詳しくは記録がないため、想像を働かせるしかありません。しかし、栄華を極めた藤原道長だからこそ豪華な料理を食し続け、高価な甘いものも好きなだけ食べていたとしても不思議ではありません。

このように平安時代には貴族階級に乳製品が広まりました。しかし、その後は廃れてしました。その後、江戸時代の8代将軍である徳川吉宗がオランダ人に勧められ、インドから白牛3頭を入手し、その牛乳から「白牛酪」を製造するようになりました。「白牛酪」も蘇と同じく、牛乳を煮詰めて作られたバターのようなものだったようです。当初は将軍家への献上品として納められていた「白牛酪」ですが、牛の数が増えてくると、庶民も買えるような店で販売されるようになりました。

また、白牛の糞も薬として使われていました。生後2週目以降の牛糞を黒焼きにし傷薬に使いました。こちらはすべて将軍家への献上品だったようです。

徳川吉宗の時代から60年後の11代徳川家斉のころには70頭の牛を飼うほどになりました。これが日本での「酪農」の始まりと言われ、現在の千葉県で育てられていたと言われています。

蘇の作り方

作り方は至ってシンプル。
2Lの牛乳をフライパンにかけて、焦げないようにひたすら混ぜて、混ぜて、混ぜ続けます。
ひとつにまとめられるくらい固まったら、粗熱をとって、ラップに包んで冷蔵庫で3時間ほど冷やします。好みの大きさに切れば完成。

と、簡単に書きましたが、フライパンにかけている時間が2時間くらい。かなり根気のいる作業です!

そして肝心の蘇のお味はと言うと、香りはチーズのようで、牛乳のコクとほのかな甘みが広がります。現代人にはすこし物足りなくなる味かもしれません。そこで「はちみつ」や「塩」などをかけると味わいが変化し、より美味しくいただけます。

令和の時代になぜ蘇?

蘇が注目されるようになったのは、コロナによるステイホーム期間中のとあるツイートが発端です。コロナ禍の休校により全国的に給食用牛乳が余っていたというニュースも後押ししたようです。蘇を作ってみた、という投稿で火がつき、時間を持て余していた人たちがこぞって蘇を作ってSNSなどに投稿されました。

さいごに

時間はかかるものの、混ぜるだけでできるのでお子さんの自由研究などにもいいかもしれません。お時間のある方は試してみては?

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